
日々の日常生活に疑問を持ったことがあるだろうか?
朝6時に起きて、朝食と出社の準備。
7時に家を出て、混雑するなか8時に出社。
社員全員で朝礼をし、12時まで仕事。
一斉に昼ごはんが始まり、1時間の昼休憩。
13時から一斉に動き出し、定時まで仕事。
残業があれば、イヤイヤ仕事を続ける。
ようやく仕事が終わり、帰宅しようとするが相変わらずの混雑。
疲れて帰宅し、酒でも飲んで風呂に入って寝る。
人それぞれに日常のルーティンはあるが、ザックりとこんな感じだとしよう。
このルーティンを見て何か感じないだろうか?
私は常々こう思っていた。
「なんだこの働きアリのような生活は…」
ある時から、この日常生活のルーティンに違和感を感じ始めたのだ。
なぜみんな一斉に動かなければならないのか?
みんな同じ時間に一斉に動くから、道も混むし満員電車に乗るハメになるのに。
昼食も時間が決まってるから、どこの店もコンビニも混雑。
ようやく仕事が終わっても相変わらずの混雑具合。
「なんだコレ…」と私は違和感を感じてならなかった。
会社員なんだからしょうがない。
働かないと生活できないからしょうがない。
みんなやってるんだから、しょうがない。
そんな理由も分かる。
だがそれは、あまりにも自分の人生を他人に任せっきりではないだろうか。
会社が潰れたら、自分の人生の責任を取ってくれるのか?
仕事が原因で人生終了したら責任を取ってくれるのか?
「しょうがない」というのは、別の言い方をすれば「諦めた」ことにならないだろうか。
「しょうがない」を理由に、自分の人生を「諦めて」いいのだろうか。
私の疑問はどんどん膨れ上がっていった。
この現代社会の「システム」の中で当たり前に生活している私達。
生き方の選択肢は他にもあるはずだ。
そもそも「どう生きるか」なんて私の自由。
この社会システムの中だけで生きる以外にも、必ず選択肢はある。
私は自由に生きられる方向へフォーカスしたい。
実際に、好きなことだけで自由に生きている人も、この地球にはいくらでもいるのだから。
選択肢はいくらでもある。
「しょうがない」で諦めたくない。
私は自分の人生を自由に楽しく遊ぶ方へフォーカスする。
「どうすれば自由になれるの?」
「本当に自由に生きられるの?」
「今の生活を捨てるなんてできない!」
そんな疑問や不安・心配はもちろん出てくるだろう。
でもその思考をしている限り、この社会システムからは脱出できない。
自由になる方法や環境は、あとから探せばいい。
まずは「疑問」を持つこと。
「自由になる!」と決めることから、全てが始まるのだ。